当社は、東横線所属のラッピング電車を使用したPRトレイン「NO END 東横 渋谷ターミナル号」を2020年3月6日より3月31日まで運行します。

関東初の私鉄運営ターミナル百貨店、そして都内屈指のターミナル駅ビルの百貨店として長年ご愛顧いただいてまいりました東急百貨店東横店が渋谷駅周辺の再開発事業の進捗に伴い、2020年3月31日(火)をもちまして営業を終了(地下1階食品売り場は営業を継続)することを背景に、「東横 渋谷 ターミナル」へのオマージュを捧げるため、NO END 東横 渋谷ターミナル実行委員会(実行委員長:渋谷道玄坂商店街振興組合理事長 大西賢治)を渋谷駅周辺関係者、株式会社東急百貨店、東急株式会社、当社)で組成し、各種プロモーションを展開。本企画はその一環として実施するものです。

本企画では、かつて東横線で活躍した代表的車両で緑の塗装と丸みを帯びた外観で「青ガエル」と呼ばれて親しまれた旧5000系を模したラッピング電車を使用し、ヘッドマークを装着して運行します。また、車内ではポスターにて“東横 渋谷 ターミナル”の変遷をたどるとともに、車内ビジョン(TOQビジョン)にて往年の東急百貨店のテレビコマーシャルを放映します。

「NO END 東横 渋谷ターミナル号」から東急百貨店東横店の85年の長きにわたるご愛顧への感謝をお伝えするとともに、“東横 渋谷ターミナル”への変わらぬご愛顧をよろしくお願いし申し上げます。

NO END 東横 渋谷ターミナル

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かつて東急百貨店東横店西館9階にあった劇場「東横ホール」には、彫刻家イサム・ノグチがデザインを手がけた緞帳(どんちょう)が下がっていた。その緞帳の作品タイトルは“No end”(無窮)――「久しい過去に始まって、変わらず続くこと」という思いが込められている。
「東横ターミナルデパート(東横店)」の営業終了は、まさに「緞帳を下ろすこと」を意味するが、イサム・ノグチが込めた「NO END」の思いと同じく、「ターミナルデパート」が築き上げてきたカルチャーは、これからも消え失せるものではない。

全ては「ターミナル食堂」から始まった。

st-image01「東横食堂」を前身とする東横百貨店大食堂

関東大震災からの復興が進む中、東京横浜電鉄(現、東急)は1927(昭和2)年8月28日、渋谷~神奈川間を結ぶ全長約23.9キロの新路線「東横線」を誕生させる。その起終点となる「東横線渋谷駅」の開業は、「都心(東)で働き、郊外(西)に暮らす」という生活スタイルを加速させた。その年の暮れの12月25日、東横線渋谷駅2階に165平方メートルの広さの「東横食堂」が開業する。メニューは、メンチボールやビフテキ、タンシチュー、オムレツなどの一品に、ご飯またはパンにコーヒーをセットにして30銭均一。洋食中心のハイカラなメニューがそろう。開業初日の来客数は180人、売上高は108円50銭だったという。この小さなターミナル食堂の誕生が、後の東横百貨店へとつながる。

阪急を範とした関東初の「ターミナルデパート」が生まれる。

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東横百貨店の開業に先立ち、東京横浜電鉄(現、東急)の五島慶太は、師と仰ぐ阪急・小林一三に依頼し、大阪・梅田駅にある日本初のターミナルデパート「阪急百貨店」に社員を派遣。ゼロからデパート経営のイロハを学ばせた後、1934(昭和9)年11月1日、渋谷駅に地上7階の高さを誇る関東初の本格的ターミナルデパート「東横百貨店」を開業する。建築設計は、銀座「服部時計店(現、和光)」を手掛けた渡辺仁が担当。アールデコやバウハウスなどヨーロッパ建築の影響を強く受けたモダンな「白亜の建物」は、東横線ターミナル駅のシンボルとなる。「帰らぬ主人を待つ忠犬」として一躍有名になった「ハチ公」の銅像が渋谷駅改札口前に設置されたのも、ちょうどこの年である。

戦後復興は「映画」「ひばり号」などの娯楽から。

st-image01撮影:赤石定次

戦況が日増しに悪化する1945(昭和20)年5月25日の夜、代々木や渋谷一帯に焼夷(しょうい)弾が降り注ぎ、東横百貨店は猛火に包まれて1階を除き全焼する。終戦の翌年1月には、戦災を被った百貨店3、4階を映画館・劇場に改装。食べるもの、着るものがない時代、「映画」は市民にとっての唯一の娯楽だった。本格的に活気を取り戻し始めたのは50年代に入ってから。戦後復興を象徴する渋谷の光景としてよく知られているのが、子ども向けの遊覧ケーブルカー「ひばり号」である。1951(昭和26)年8月25日、山手線をまたいで東横百貨店(東横店東館)と、当時4階建てだった玉電ビル(東横店西館)の屋上を往復する遊具として設置。周囲に高層ビルがない時代、三軒茶屋まで見渡せるパノラマビューが人気を博し、乗車待ちの行列が途切れないほどだったという。

渋谷発祥の「東横のれん街」が、デパ地下の原点。

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百貨店業界に大きな影響を与えるアイデアが、戦後の東横店から生まれている。1951(昭和26)年10月27日、東横百貨店(東横店東館)1階に開業した「東横のれん街」である。「日本橋や銀座に行かずとも、渋谷で名店・老舗で買い物はできる」という画期的な発想だったが、自社店舗での商売にこだわる老舗からは「前代未聞」と門前払い。東横百貨店の営業担当者らは、老舗店のオーナーを口説き落とすまでにかなり時間を要したという。「東横のれん街」開業後は「本店よりも売れる」という老舗も多く、かつてない食品街は大成功を収める。この「渋谷発祥」の新しい販売スタイルは、その後の「東急フードショー」、さらに今日の「デパ地下」人気へとつながる。

「東横ホール」が、カルチャーの街・渋谷を築いた。

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1954(昭和29)年11月17日、4階建ての「玉電ビル」を増築し、11階建ての「東急会館(東横店西館)」が完成する。建築設計したのは、ル・コルビュジェの弟子である建築家・坂倉準三。9~11階には1002席規模の「東横ホール」を併設し、歌舞伎や落語から、芝居、ロックコンサートなどにも使える「万能劇場」が駅直上に誕生。中でも1985(昭和60)年の劇場閉鎖まで30年以上にわたり続いた「東横落語会」は、ホール落語のはしりとして人気を博す。今日、渋谷にはBunkamuraや東急シアターオーブなど、文化発信を担う劇場が数多く集積しているが、その原点は「東横ホール」だったといえる。

東横ターミナルデパート物語に、終わりはない。

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渋谷駅周辺の再開発完了は2027年度を予定。今年1月3日、東京メトロ銀座線渋谷駅は東横店西館から約130メートル表参道方面に移動し、明治通り直上に新設。今夏の五輪開催前までにはJR埼京線ホームも山手線と並列するかたちで移設予定である。さらに3月31日で営業を終了する東横店西館・南館が建っている場所には将来的に「渋谷スクランブルスクエア第II期(中央棟・西棟)」が誕生する。85年の歴史を持つ東横店はまもなく緞帳を下ろすが、東横ターミナルデパートが紡いできた物語に終わりはない。東横店の始まりは「郊外に向け日用品を売る店」、老舗ではないからこそ失敗を恐れることなく新しいことに挑戦してくることができた。再開発後の渋谷にも、チャレンジャーとしての遺伝子は脈々と継承されていくことだろう。

東横渋谷ターミナルアーカイブ